主張

ユートピア的思考でこれからの目標を描く

平峯 悠

 「保育園落ちた。日本死ね!」「地方の衰退」「過労死と働き方改革」「格差と貧困」などの話題がマスコミや世論を騒がしている。その対応への批判は時の政権へと向かうが、ある一定の施策が実施されるといつの間にか忘れられてしまう。現在の社会・経済環境、国民生活は十分とはいえないまでも昔に比べれば格段に良くなっている。一部の人達やマスコミが経済政策を含め最悪などと騒ぎ立てるがそんなことはない。多くの国民は概ね満足し豊かであると感じている。しかしこのような目先の問題や課題に追われているだけでは、将来への目標が描けない。

 東大名誉教授見田宗介氏は「現代社会はどこに向かうか(岩波新書2018)」の中で、高度に産業化された社会ではこれ以上の物質的な成長を不要と考える。日本はじめ西欧諸国の青年の意識は現在の生活に満足し幸せと考える割合が大幅に増加しており、20世紀型の価値観や社会改革は望んではいない。経済競争の脅迫から解放された人々は、夫々の資質と個性に応じて、農業や物づくり、医療、芸術、教育・研究などの仕事を求め生活を甘受して楽しむ。決して金儲けなどを優先しない。そのような社会が新たに向かうべき方向を《高原の見晴らしを切り開く》と表現している。これまで幾多の困難を乗り越え険しい山を登りつめ緩やかな高原に出た日本はどのような道を切り開こうとするのか。

 現在の都市計画、地域計画においても新たな高原を切り開くことが必要であるにもかかわらず、インフラの拡大や経済による活性化を求め、インバウンド頼みということになりがちである。そこで新しいアプローチとして「ユートピア的思考による目標設定」を提案したい。ユートピアというのは「どこにもない」という意味の英国人トマス・モア(1476~1535)の造語であり、自由と規律を兼ね備えた理想的な共和国を描き、都市の形とデザイン、都市と農村の関係、働き方、技術、公と私の在り方などについてユニークな発想をし、その後の田園都市はじめ理想都市論に大きな影響を及ぼした。日本の都市計画の先人達も時代に応じて都市の理想像を描きその具体化に取り組んできた。社会的に安定した現在、新たな目標を描くことは私たちの責務ではないか。

 日本における地方創生では、財源や権限を地方に移譲する、企業を誘致する、あるいは東京から高齢者を移住させるなどが議論されているが、これで地域や人々は幸せになるのか。トマス・モアの描く自然と共生する生活、人間の基本的技術である「農」や新技術を中心とするユートピアに近いモデルは、徳島県上勝町や神山町、鳥取県智頭町などに既に存在する。小都市から大都市まで、地域毎に居住と生活、地域コミュニティー、地域産業、施設配置や交通等の理想形を描く作業を始めたい。

 鉄道やバスなどの公共交通についても、事業採算性や路線の維持に汲々とするのではなく、歩行からバス、鉄道、新交通全てを対象とした公と私の役割を含めその在り方を考えることである。大阪は明治以来市電のネットワークを完成させ、地下鉄を市内に巡らせ、また補完としてバスを走らせた。先人達は都市と交通のユートピアを目指したものではなかったか。またライトレールを中心としたコンパクトシティーを目指す富山市の森市長もユートピアを思い描いているのではないか。公共交通の沿線に居住を誘導するという立地適正化計画をユートピア的発想とみれば理解できる。ユートピア的思考による目標設定は絵空事ではなく目指すゴールを髙見に設定するということである。それが新しい道を切り開くきっかけになろう。

 理想やユートピアを求めるのは人間の宿命であり、ユートピア的思考によるアプローチは世の中が混乱しているときには夢を与え、また考えに行き詰まった時には解決の方向を示す極めて有効な方法であると考える。