第1回プロジェクト研究会議
報 告

 6月26日に第1回プロジェクト会議を開催し、平峯代表の講演「大阪中央環状線の計画と建設」のもと、当時の記録映画もまじえながら、活発な意見交換が行われました。当日の講演、意見交換の結果をとりまとめて報告させて頂きます。

大阪中央環状線の計画と建設〜大阪中央環状線の計画のねらいと評価〜』

1.計画策定当時の背景

 昭和30年代、人口・産業の集中に伴う交通渋滞問題が顕在化し、大阪でも交通問題が取り上げられてきたが、交通計画・都市計画として体系だてられていなかった。

 一方、昭和34年頃、臨海工業地帯の開発による税収増ともあいまって、大阪府の財政が非常に豊かになってきた。「東京に負けてはいけない」という意識が非常に強く、大阪の相対的な地盤沈下を止めたいということで、「(旧)十大放射路線」という戦前の産業道路に、都市内交通の分散を図る環状道路の計画思想を採り入れて、昭和35年「十大放射三環状線整備計画」が打ち出された。その中で、大阪中央環状線は中心的な道路として計画された。

2.大阪中央環状線の計画

 急激に都市化が進行し、大阪市外延部へのスプロールを止めなくてはならないという認識と「道路計画だけではなく都市計画をやる」という意識が強かった。イギリスにおける大ロンドン計画、緑地帯構想を学び、戦前からの防空緑地計画(服部、鶴見、久宝寺、大泉)も組み合わせ、緑地計画と道路計画をもって、市街化の拡大を防止するという考えであった。

 道路幅員については、30〜120m(図−1)で計画した。


図ー1 大阪中央環状線立案計画

 千里の方は丘陵地帯で当時何もなく30m、門真、守口、摂津周辺は、既に市街地が連担していたので、そこに『強力なもの』を入れることができなかったが、交通量として必要ということで60mまで拡げた。東大阪、八尾区間は、当時、都市的な土地利用がされていなかったが、今後の市街地の膨張を止めるため、鶴見、久宝寺の緑地、これを結ぶ遊歩道を併用した幅員3 8 mの大環状緑地を両側に設け、幅員120mとした。松原、堺区間は臨海との交通を受ける必要があり37mとなった。

 計画当時、特に意識した点は、「沿道の開発」、「衛星都市の連結(都市連合)」、「緑地帯の形成」という点であった。

3.建設にあたっての計画の変化

 大阪中央環状線の120mの標準断面については、緑地にそれだけの投資を行えなかったことから、当初の計画どおりには実現できなかった。しかし、広幅員の必要性について、建設省の理解を得るため、交通量予測を行うこととし、日本で初めてとなるOD調査を実施し、国の高い評価を得た。

 現在の標準断面(図−2)において、当初120m区間の中央部は盛土構造とする計画であったが、建設省の承認を取るためには、道路(近畿自動車道)を中心として幅員をうめていかねばならず、結果的には量でものを計ることになっていった。当初の計画は、都市計画的色合いの濃いものであったが、国の補助制度や道路事業としての縛りにより、道路・交通計画的色合いのものへと変わっていった。


図-2 現在の標準断面図(門真〜八尾区間

4.大阪中央環状線の評価

 計画面においては、大ロンドン計画、ボストンの環状道路及び新道路構造令の基となったハイウェイキャパシティマニュアルが非常に参考になったこと、事業面においては、当時の経済・財政が豊であったこと、財界の強力なバックアップがあったこと等により、大阪中央環状線の実現をみている。当時(昭和30年)自動車保有台数が43万台、これが昭和55年までに約3倍になると予測していたが、結果としては、それを上回る170万台になっている。放射状線を介して集中する大量の交通を、それぞれ中央環状線及び近畿自動車道を使って分散させながら大阪市内へ出入させる分散効果という当初の環状道路としてのねらいは果たしている。また、ニュータウン、緑地、北大阪流通団地等をつなげていくということに対しても、それなりの効果はねらいどおりである。

 一方、「土地利用の適正化」、「工場の適正配置」、「業務地の形成」ということについては、必ずしも実現されているとは言いがたい。大阪中央環状線は大阪市内の御堂筋に匹敵する街路として「大阪の背骨を形成する」という思いがあった。

 結果的には、トラックを走らせ、自動車を中心とする施設の立地が進み、土地利用規制にまでは至らなかった。

5.大阪環状モノレール

 大阪環状線(現JR)が全線完成した後、その外側の鉄道網についてはほとんど議論がなされなかったが、「大阪環状モノレール構想」(昭和46年)で環状鉄道の検討がはじまり、昭和50年から実施のための調査を行ってきた。当初の「モノレール構想」は、中央環状線の自動車交通をモノレールに転換し、市街地形成に役立たせるという考え方であり、鉄道事業というよりも道路計画・都市計画として進められた。大量交通機関を持ってくるほどの需要はなく、地下鉄のような大きいものを整備することもできない。

 モノレールは、ルート、縦断勾配等において比較的柔軟に計画できることなどから、都市内の交通機関として優れていた。ところが、計画策定及び実施に移すとなると鉄道事業に近くなって、採算性の問題等で環状モノレールとして全線を建設するのは現段階では無理ということになりつつある。

6.大阪中央環状線の今後の活用

 大阪中央環状線の幅員が100m以上のところは、普通に考えれば高速道路を中央に計画するところを片寄せし、25.6mの空間を空けておいた。後の人たちのさらなる計画に期待するところである。

 また、流通の構造、ニュータウン・臨海工業地帯等の内容や役割が変わりつつ有る。現在の視点から大阪の経済構造、地域構造上、どのようにあるべきか見直し、それに合わせて大阪中央環状線の使い方を考えていく必要がある。大阪中央環状線だけでは難しかったが、モノレールの効果で土地利用が改善されつつあり、また、龍華地区のような開発ポテンシャルの高い空地も残っている。

 今後、「内陸環状都市構想」など都市の再整備ということが重要な実施課題となるのであれば、道路だけの美化とか化粧直しだけではなく、整備に値するところをきっちりと整備し、その効果を周辺に拡げていくということが大切である。

 今後の展望として、大規模な幹線道路を計画・建設する時に、周辺の土地利用も魅力のあるものとして誘導し得る方法を考えていかなくてはならない。

 「壊れていないものは直せない。壊れているものは直せる。」、「汚ければ直せる。汚くないと思えば直せない。」ということで、今後の努力次第で新たに再生出来るのではないかと考える。


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